あらすじ
STORY
東京五輪に向けた新国立競技場の建設が進む 2018 年の東京。不登校気味の高校生・鳴海(せとらえと)は ライブ配信を行うことにより、行き場の無さを埋めようとする。鳴海の同級生・いく(阿部百衣子)はいつ も明るく振る舞う反面、形容しがたい憂鬱な気持ちを吐き出せずにいた。ある日いくは、梶井基次郎の『檸檬』のように、自分の遺書を赤の他人の家に投函することで憂鬱を晴らそうとする。その遺書を読んだ鳴海と、フリージャーナリストの直樹(鐘ヶ江佳太)は、いくが発するSOSを感じ…
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監督・キャストコメント
本作は2018年に製作したもので、オリンピックを控えた東京が舞台となっています。
本作には「檸檬」(著・梶井基次郎)の引用が幾つか出てくるのですが「檸檬」の中には、憂鬱に対しての画期的なアプローチが内包されており、それは初版から約100年経った今でも色褪せていません。
憂鬱というものも一向に色褪せる気配がなく、折り合いをつけながら生きていくしかありません。しかし反面、折り合いをつけてたまるかとも思います。
コロナウイルス、ロシア政府によるウクライナ侵攻などによって、2018年に想像していた未来が大幅にキャンセルされていく中、東京五輪がいつの間にか素通りし、今を迎えています。たった4年の間に日常や映画という媒体の立ち位置が大きく書き換えられたように感じますが、劇場や、劇場に足を運んでくださる皆様の存在によって本作の居場所が生まれることを、心より嬉しく思います。
脚本・監督:守田悠人
演じたいくは、一言で言うと、過去の自分にものすごく近い子だな、と思いました。
自分はそんなことしたいと思っていないのに、分かりやすく誰かに優しくしたり、人に感謝をされることをする。それがいくにとっての自傷行為で、それを発散するための方法が遺書を投函すること。誰の記憶にも残らずすっと水蒸気みたいにいなくなりたいのに、むざむざと爪痕を残そうとしてしまう、本人も気づいていない「矛盾と葛藤」みたいなものを表現できれば、と思いながら演じていました。
完成した映画を見た時は、不思議な感覚でした。島内いくという架空の人物でもあり、過去の自分を見ているようでした。最後にはどこかで救われていて欲しい、と願いながら見ました。
PFFでこの映画が評価を受けられたということは、まだ世界に救いが残っているということだと思います。「死にたい」はタブーな感情で、表に出すことはなかなかできないかもしれないけれど、決して悪いことではない。誰だって抱いていい感情で、その感情を抱きながらも生きている人がいる。世の中は断絶をし続けているし、人と人は簡単には思いを共有できません。それでも、どこかには「生きていて欲しい」と願う人がいる。綺麗じゃなくても泥臭くてもいいから生きていていい。
人と人との溝が深くなってしまった今だからこそ、見て欲しい映画です。
いく役:阿部百衣子
鳴海は、一見やさぐれているようだけど、不器用で繊細で傷付きやすく、自分自身の中に色々な葛藤を常に抱えている女の子だと思いました。鳴海は昔の自分と被るところもあり、その頃の事を思い出しながら演じた箇所もありました。
あと、あまり感情を表情に出せないぎこちなさみたいなのを意識しました。
完成した映画を見て、その時の心情だったり、見る度に感想や想いが変わる映画だなと思いました。みんな幸せになって欲しいと思いました。
PFFで審査員特別賞を受賞した際は、良い意味で驚きはしなかったと言いますか、自分の中で特別で大切な映画が評価されて嬉しかったです。ただ少しグランプリを獲れなかった悔しさもありました。
「しんどいな」「死にたいな」と思うことに罪悪感を持ってしまったり自分を責めてしまう人って多いと思うんです。この鬱々としたご時世だからこそ、とかは言いたくないけれど。そういう人たちに観て欲しいし、死にたいなんて思ったことない人にも、「こういう人たちもいるんだ」って知って欲しい。あとは自分を大切にして欲しい。とにかく劇場に足を運んでいただきたいです。
鳴海役:せとらえと